ラッキー
- 2018/05/16
- 02:38
ハリー・ディーン・スタントン最後の主演作「ラッキー」の感想。ネタバレは全開でいきます。
ハリー・ディーン・スタントンという俳優をご存知であろうか。代表的な主演作はヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」。他には主に脇役、レポマンとかエイリアンとかツインピークスとか、ちょっと変な映画の脇役のちょっと変なやつとして出てくる、アクの強い名優だ。
この映画は彼の最後の主演作。こいつを撮った1年後に91歳で亡くなった。大往生であろう。
話は砂漠から始まる。サボテンと黄土色の砂漠をゾウガメがゆっくり横切っていく。そしてタイトルバック、「ハリー・ディーン・スタントン・イズ・ラッキー」。
ストーリーは、一人暮らしの頑固な老人「ラッキー」の日常をひたすら追う。朝起きてヨガ、コーヒーを沸かす間に煙草を一本、コーヒーを飲んで、牛乳を飲む。近所のダイナーまで歩く。ダイナーで朝食とクロスワードパズル。また歩く。雑貨屋に牛乳を買いに行く。家でクイズ番組を見る。歩く。夜は行きつけのバーで一杯。また歩く。帰って寝る。最後までその繰り返しだ。
その顕微鏡で覗いたようなミニマルな繰り返しの人生の中に極小のドラマがある。
冷蔵庫からコップに入った牛乳を出して飲んだ後、次の牛乳を注いだコップを冷蔵庫に入れるのが可笑しい。毎日決まった場所の前で「クソ女どもめ!」と怒鳴るのも可笑しい。家出したリクガメの話。10歳の男の子の誕生日にはまったく似つかわしくないスペイン語のラブソング。全席禁煙のバーで「所有は幻想だ」と嘯き、煙草を吸う。日常はどこまでもユーモラスでどこまでも感動的だ。
しかし、彼はついにある朝倒れてしまう。医者に行っても原因はわからない。医者も「歳なんだよ」ぐらいしか言えることは無い。
そして、画面には彼が歩いた街並みが彼抜きで淡々と写される。ついにその時が来たのかと覚悟したその時、彼が画面端から現れる。同じしっかりとした歩みで。オープニングのゾウガメのように。僕は胸を撫で下ろす。
彼が歩いた先、いつも「クソ女どもめ!」と怒鳴る場所で彼は立ち止まり、怒鳴らずに微笑む。ついに折れた、許すことができたのかと思うと、どっこいそうではない。そこは噴水と気取った庭のある店で、店の門には「閉店」の札がかかっているのだ。いなければ怒鳴る必要もない。ラッキーは映画の最後まで、頑固な愛すべき馬鹿野郎なのである。
デヴィット・リンチは友人の主演映画だからこそ出演を引き受けた。脇を固める俳優陣や監督も脚本も、みな友人ばかりだそうだ。そしてエンドロールではハリー・ディーン・スタントンに捧げた歌が流れる。
僕はこの俳優が好きだ。きっとあの時一緒に映画館にいた人たちもそうだ。スタッフも俳優も観客も、みんな彼が好きなのだ。こんな映画で有終の美を飾る、なんと羨ましい人生か。
この映画は彼の最後の主演作。こいつを撮った1年後に91歳で亡くなった。大往生であろう。
話は砂漠から始まる。サボテンと黄土色の砂漠をゾウガメがゆっくり横切っていく。そしてタイトルバック、「ハリー・ディーン・スタントン・イズ・ラッキー」。
ストーリーは、一人暮らしの頑固な老人「ラッキー」の日常をひたすら追う。朝起きてヨガ、コーヒーを沸かす間に煙草を一本、コーヒーを飲んで、牛乳を飲む。近所のダイナーまで歩く。ダイナーで朝食とクロスワードパズル。また歩く。雑貨屋に牛乳を買いに行く。家でクイズ番組を見る。歩く。夜は行きつけのバーで一杯。また歩く。帰って寝る。最後までその繰り返しだ。
その顕微鏡で覗いたようなミニマルな繰り返しの人生の中に極小のドラマがある。
冷蔵庫からコップに入った牛乳を出して飲んだ後、次の牛乳を注いだコップを冷蔵庫に入れるのが可笑しい。毎日決まった場所の前で「クソ女どもめ!」と怒鳴るのも可笑しい。家出したリクガメの話。10歳の男の子の誕生日にはまったく似つかわしくないスペイン語のラブソング。全席禁煙のバーで「所有は幻想だ」と嘯き、煙草を吸う。日常はどこまでもユーモラスでどこまでも感動的だ。
しかし、彼はついにある朝倒れてしまう。医者に行っても原因はわからない。医者も「歳なんだよ」ぐらいしか言えることは無い。
そして、画面には彼が歩いた街並みが彼抜きで淡々と写される。ついにその時が来たのかと覚悟したその時、彼が画面端から現れる。同じしっかりとした歩みで。オープニングのゾウガメのように。僕は胸を撫で下ろす。
彼が歩いた先、いつも「クソ女どもめ!」と怒鳴る場所で彼は立ち止まり、怒鳴らずに微笑む。ついに折れた、許すことができたのかと思うと、どっこいそうではない。そこは噴水と気取った庭のある店で、店の門には「閉店」の札がかかっているのだ。いなければ怒鳴る必要もない。ラッキーは映画の最後まで、頑固な愛すべき馬鹿野郎なのである。
デヴィット・リンチは友人の主演映画だからこそ出演を引き受けた。脇を固める俳優陣や監督も脚本も、みな友人ばかりだそうだ。そしてエンドロールではハリー・ディーン・スタントンに捧げた歌が流れる。
僕はこの俳優が好きだ。きっとあの時一緒に映画館にいた人たちもそうだ。スタッフも俳優も観客も、みんな彼が好きなのだ。こんな映画で有終の美を飾る、なんと羨ましい人生か。